とりあえず社会に戻ろう。
会社で働くこと、人に会う事まで自信がなくなってしまう時期を何とか超えて
派遣社員として働き始めた精密機器メーカーでは営業部での翻訳・通訳業務でした。
一年働いてお金貯めたらオーストラリアにでもワーキングホリデー行っちゃおうかな、、、なんて
また甘っちょろく考えていたOLあさり涼子。
ところがこの会社で働かせていただいた部署の雰囲気が良くて、部長さんも部署の方々にもよくして頂きました。
あれ?仕事って楽しかったんだ。という再発見と、
1年で辞めるのはもったいない気がしてきたあさり涼子は、
もっとビジネスで使える英語の勉強をしよかなと考え始めます。
元気になってきた私はまた学びたい気持ちがが大きくなり
なれるかどうかはさておき、通訳に近づく英語力を磨きたいと思いスクールに通いました。
根が真面目なのもありますが、すぐ学校できちんと教えてもらうことに
こだわるところがこういうところに出ます。
独学でやりきるエネルギーと自信はなかったわたくしです。笑
どこかの保証付きになりたかったのですね。
通訳への興味と自分の興味のある分野を模索
選んだ通訳学校はdiplomatというスクールでした。
原不二子さんという国際会議で活躍された通訳者の方が創設した学校で教え方も丁寧でした。
結局その後の仕事の選択によって忙しくなりストップしてしまいましたが、
絵を描いていても言語への興味は尽きないのでどこかでまた
英語もスペイン語もブラッシュアップしたいなと思います。
さて、通訳学校に行き始めてやはり会議通訳のニーズは金融経済。
教材でも最新のものを扱ってくれましたが、そこで初めて目にしたのが環境金融という言葉でした。
ちょうどその頃不都合な真実という本が出版され気候変動問題に世間が注目し、
大学院でも環境金融という分野を学べるようになってきた頃です。
これから大学生になる人たちがうらやましい!と思いながら、少しずつ環境問題や
サステナビリティへの興味が自分の中にも生まれてきました。
とにかく社会復帰と思って始めた派遣の仕事で職場の環境にも恵まれ、
微力ながらも人の役に立てるようになって自信を取り戻し、
より自分のスキルを上げていきたいと思って選んだ通訳の勉強でしたが
そんなこんなでもうすぐその職場で3年目を迎える頃、派遣法の制約でその職場での仕事が続けられなくなると判明。
転職活動に入ったのですが、そこで仲良くなった友人のつてで
英国の某地域開発公社の日本駐在事務所で働く口が見つかりました。
言葉で人を助ける仕事で頑張ってみる。
準公務員的職務内容で民間ではない環境でどうなることやらと思いましたが、何しろ海外政府外郭機関で働く機会なんてそうそうないだろうと思い飛び込みました。
そこは英国の当該地域に直接投資(事務所や工場開設)を検討する日本企業への誘致活動や、アフターケアを行うことが主要業務でした。
訳も分からないままいろんな業務をしましたが、結局そこでは3年、そして4年目は1年ちょっと本丸の英国大使館に転籍して対英投資部で働きました。
特に帰国子女でもない私にはコンプレックスも付きまとう場所でしたが今となっては貴重な経験です。
担当していた地域にサステナビリティを巡る様々な勉強ができる社会人向けのプライベートカレッジがあり、そこを知ったこと、そこに行って学べたこともその後の私に大きな影響を与えました。
そんなこんなで英国の仕事を通してサステナビリティにさらに興味を持った4年目、思うところあり退職を決意します。
それを決めた3月に、あの東日本大震災が起こりました。
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