30歳の父と11歳のソフィーの夏休みのトルコ旅行。
はしゃいだり、レンズ越しの父に話しかけたりするソフィーの姿と、
それにふざけたり、時に怒ったり、抱きしめたりするカラム。
そして、ビデオの中の父カラムとソフィーが交錯しながら進む物語は、
大人になったソフィーがたどる思い出です。
なぜか無性に気になって、「EO」と一緒に自主的に2本立てで鑑賞した作品。
2カ月経っても思い返すとまだじわじわと心を揺らす映画になっていました。
離婚によって別居した父との貴重な夏休みを迎えたソフィーは時にふざけ、一緒に笑い、
時に思春期気まぐれモードを発動して喧嘩したりして日々を過ごします。
ビデオのレンズ、そしてソフィーの目を通したカラムの姿は、
よい父であろうとする一方で、葛藤や怒りや悲しみも断片的ににじみ出ています。
ソフィーには見せなかった、見せたくない、あるいは見せられなかった
あの時のカラムの抱えていたものは何だったのか。
決してつまびらかにされることのない彼の全体像を思ってもどかしさも感じつつも、
人の抱える茫漠とした心の闇を通して感覚的に共感する不思議な効果を感じました。
実はいまだに掴みきれていないような気がするのですが、
一応今の時点で書き留めておきます。
もう一回観たいかな。。
7月になっても有楽町でロングラン上映していました。
静かに人気なようです。
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