ベルギーの32歳ルーカス・ドンが監督したこちらの映画は、
第71回カンヌ国際映画祭のカメラドール(新人監督賞)を受賞。
ドン監督はこの映画の前に『Girl/ガール』という映画で
トランスジェンダーのバレリーナを描いていて、その評判は
賛否両論あったようですが、残念ながらこちらはまだ観ておりません。
たしか、『EO』を観る前のCMで観て、二人の少年の美しさにほぉおおとなり、
これはとにかく観たい!と思った映画です。
成長過程の少年たちの曖昧な感情を扱っていますが、
観終わったあとの私には喪失の物語という印象が残りました。
ストーリー
家族よりも長い時間を共にしていた親密な友人レミと
花き農家の息子レオが、学年が上がり新しいクラスで女の子たちや
いつも一緒にいる二人は付き合っているのか、と聞かれ動揺と苛立ちを感じます。
レオは、レミよりも中性的な華奢な少年でそれゆえか
そんな女子たちの言葉に反発するように
より男っぽいアイスホッケーのクラブに入り
レミと距離を置いて、男同士の仲間とつるみ始めます。
そしてある日突然やってくる別れ。
レオは訳が分からず、クラスでレオの死について考える場でも
語ることを拒否し、ひたすら家の仕事を手伝い、アイスホッケーに没頭します。
時が経ち、レミの母と話し、淡々とした日々の中で物思いに沈むレオ。
親密さと他人の目と恐れ、そして喪失感。
私が通った小学校は男子が少なくて、中高は女子校だったので同性ばかりでしたが
大抵子どものころは同性同士でつるみ、違う子がいると悪目立ちしてしまって
時には意地の悪い同級生に目を付けられからかわれたりします。
子どもの時だけと思いきや、こういう状況はしょうもない大人同士でも
起こってしまう。ほんとうに愚かだとは思いますが。
どんなに仲が良くても、クラスの誰かがからかったり、
その親密さにケチをつけられたりすると人は途端に不安になります。
これっておかしいの?
変に思われたくない。
そんな不安と恐れで、大切な存在を突き放してしまうこともあるでしょう。
レオの場合は、そんな誰もが経験するような気持ちで少し距離を置いた友人を
最悪の形で失ってしまうのですが、その死を受けいれるというか、
悲しみを外に出すことにとても時間がかかっていました。
それが実にリアルでした。
レオ、レミのどちらの気持ちにもうなずける鑑賞者としては、切なさマックスでした。
多感な時期を振り返る
女の子は女の子らしく。男の子は男の子らしいことを。
そんな風に言われることが当たり前だった時代を生きたドン監督より一回り上の世代ですが、
私はこの「らしい」がとても苦手でした。
スカートも好きじゃなかったし、ピンク色も嫌いでした。
でも、大人になって結婚適齢期(これも死語ですが)になると
男の人が好きそうな方向へ自分をもっていった時期もありました。
正直黒歴史ですが。
そんな性別による「らしさ」を嫌った私でも
「普通がいい」などと言っておりました。
普通ってなんだよ。と、今は自分に突っ込みますが、
私はわたしらしくいたい、という気持ちと一緒に
可愛くして目立ちたくないという他者の目への恐れも
感じていたのだと思います。
1人で奮闘するのは良いのですが、誰か大切な人を
自己保身のために傷つけてしまう事はやはり悲しい。
そうなってほしくない。
自分とは違う考え方や感情や、人に対して
攻撃するようことが少しでも起こらないよう
理解というものがもっと深く広がる世界になってほしい。
そんなことも思った映画です。
LGBTQ的視点の映画について
ここ最近は特にLGBTQとして取り上げられる映画が多いような気がします。
シネスイッチ銀座でもそれこそ開館初期も初期の1989年の『モーリス』とか、
1993年の『クライング・ゲーム』とか名作も上映されていますが、
私が映画感想イラストを描かせていただいている2014年以降は
毎年ほぼこのテーマの映画は上映されています。
今を描くものもあれば、反感が強かった時代にしなやかに
したたかに抗い、傷ついた人々も描いています。
これまでの概念や常識に沿わない人々に戸惑い、恐れ、
時に嫌悪し、やり玉に挙げる人間の醜さを描き、
ままならない感情や不条理な社会が見えてくると同時に、
観る自分がどう感じたかと己に問うきっかけとなる映画が多く
私は結構積極的に観る事が多いテーマです。
私みたいにこういうテーマ系~なんて言うことさえ
可笑しいと思うほど当たり前になる時代はもう近いのでしょうか?
そういった映画がどんどん世に出て共感が広がるのは良いけれど、
実際まだまだ生きづらいことはわんさかあるに違いありません。
だから映画とか小説になって、人の心を打つんだろうな、と、
逆説的に思う私です。
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